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【施設】伊都国歴史博物館が開館=福岡県前原市[041029]

1 : ◆GEDO/87xso @外道φ ★:04/10/29 11:56:43 ID:???
伊都国歴史博物館、福岡県前原市に開館

 「魏志倭人伝」に登場する伊都国(いとこく)の中心地とされる福岡県前原市で
29日、市立伊都国歴史博物館(西谷正館長)が開館した。館内では、弥生時代
後期に栄えた伊都国の王墓とされる平原遺跡から出土した国内最大の銅鏡
「内行花文鏡」(直径46.5センチ)四枚などを展示。映像で伊都国の様子を復元
している。

(後略)
----
※引用元配信記事:http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20041029AT3K2900H29102004.html
※日本経済新聞社のNIKKEI NET( http://www.nikkei.co.jp/ )2004/10/29配信

2 :名無しのひみつ:04/10/29 11:59:09 ID:z7Zz9prX
今日暇だから見にいくかな

3 :名無しのひみつ:04/10/29 11:59:29 ID:ZPQsnD+0
4様

4 :名無しのひみつ:04/10/29 16:44:59 ID:o+9Jp8KA
4様


5 :名無しのひみつ:04/10/29 18:22:09 ID:psBE9toB
これは朝鮮の一地方政権ですね。

6 :名無しのひみつ:04/10/29 18:27:53 ID:amJiiq4x
文字類とみられる主な遺物
2世紀中期 大城遺跡(三重県安濃町) 「奉」の刻書土器
2世紀後半 貝蔵遺跡(三重県嬉野町) 「田」の墨書土器
3世紀前半 貝蔵遺跡(三重県嬉野町) 人面墨書土器
3世紀後半 三雲遺跡(福岡県前原市) 「竟(鏡)」の刻書土器
3世紀後半 根塚遺跡(長野県木島平村) 「大」の刻書土器
4世紀初頭 柳町遺跡(熊本県玉名市) 「田」のよろいの留め具
4世紀前半 片部遺跡(三重県嬉野町) 「田」の墨書土器

7 :名無しのひみつ :04/10/29 21:29:39 ID:XwobGPyP
初歩的な質問ですいません。

糸島ってどうして伊都国なんですか?
伊都と糸の語呂合わせだけが根拠でしょうか?
それだけだったら糸満はだめでしょうか?糸魚川は・・・。
まつら国といわれる松浦からは東南ではなく東北と思われるんですが・・・
距離も壱岐〜唐津と唐津〜糸島ってとても1000里:500里、つまり2倍の差があると思われないんですが・・・。

8 :名無しのひみつ:04/10/29 21:32:08 ID:hjlFJHwb
>>5
朝鮮人の妄想を垂れ流さないで下さい。朝鮮人は九州を侵略したいのかね?

9 :名無しのひみつ:04/10/31 12:58:39 ID:xRSRFTMx
我が歴史はひと言でいって退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった。
いつの時代に辺境を超え他を支配したことがあり、どこに海外の文物を
広く求めて民族社会の改革を試みたことがあり、統一天下の威勢でもって
民族国家の威勢を誇示したことがあり、特有の産業と文化で独自の自主性
を発揮したことがあっただろうか。いつも強大国に押され、盲目的に外来
文化に同化したり、原始的な産業のわくからただの一寸も出られなかった。
「われわれのもの」はハングルのほかにはっきりとしたものは何があるか。
我々はただ座してわらを編んでいただけではなかったか。
自らを弱者とみなし、他を強大国視する卑怯で事大的な思想、この宿弊、
この悪い遺産を拒否し抜本せずには自主や発展は期待することは出来ないで
あろう。
以上のように我が民族史を考察してみると情けないというほかない。全体的
に顧みるとただ唖然とするだけで真っ暗になるばかりである。
このあらゆる悪の倉庫のような我が歴史はむしろ燃やして然るべきである。

    朴正熙大統領

10 :外道 ◆GEDO/87xso :04/10/31 16:31:47 ID:ydzIgpYT
>>7
語呂合わせだけではないようですよ。

▽参考link

伊都国とは?(伊都国の歴史紹介)
http://www.itokoku.com/kankou/itokoku-00/
前原の歴史2
http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/rekisi/rekisi2.html


11 :名無しのひみつ:04/11/02 00:23:33 ID:jqdWBlFx
福岡にも志摩の地があるのか、伊勢の志摩と何か関係でもあるのだろうか・・・

12 :名無しのひみつ:04/11/02 21:24:21 ID:jFe+sSyn
朝鮮人は形質的に日本人と最もよく似た民族である。同じく黄色人種
(モンゴロイド)に属し、皮膚は黄色、毛および瞳(ひとみ)は暗色で、
特有な偏平な顔と、ひいでた頬(ほお)骨と、あまり高くない鼻の持主
で、蒙古皺襞(しゅうへき)のために、つり上がったような目を有する
ものが多い。身長は大部分が世界諸民族のうちでの中の下を示し、小部
分が中に入る。そこで大部分が中の下、小部分が小の身長の日本人より
も、大きいことになる。頭部は大部分が短頭、小部分が超短頭に属する。
日本人は大部分が短頭、小部分が中頭であるから、朝鮮人のほうが短頭
の程度が強いということになる。頭高は、世界中で最も高頭の部に入る。
頭が前後に短くて高いために、後頭部の円味をかき、横から見れば偏平
なのが多く、また他の周辺民族よりも頭の左右にゆがみのあるものの
出現率が高い。頭髪はモンゴロイド共通の性質として、かたく真直で
ある。朝鮮人の頭髪以外の体の発毛状態ことにあごひげと口ひげや陰毛
は、日本人と比較すれば一般にうすく、アポクリン腺の発達が不良なの
で、腋臭(わきが)は日本人よりも少ないとされる。

13 :名無しのひみつ:04/11/02 21:31:54 ID:jqdWBlFx
半島は長い間未開野蛮の地とされてきた。
半島の歴史は差別支配とそのための攻略の記述によっていろどられている。
化外の民の住む世界、飢餓と貧困の風土として、おくれた文化と経済しか持たず
社会的な秩序もなく、骨肉近隣相食む凶暴な世界として描かれている」

こうした屈辱をはねかえすためには、まず朝鮮民族自身が征服史観を克服し
先進国の力を借りるのではなく、半島の民衆自身の手で歴史を書きかえなければならないと呼びかける。

14 :名無しのひみつ:04/11/04 20:42:39 ID:O6NEO6gg
>>10
二つとも読ましていただきましたが、結局根拠は語呂合わせの部分だけで、
他の部分は、他の地域にもそのまま当てはまりそうな説明があるだけと感じました。
伊都=糸島 以外の強力で直接的な根拠はないものでしょうか?


15 :外道 ◆GEDO/87xso :04/11/05 10:44:36 ID:ntFrEZHz
>>14
地名もさることながら、検出された遺構や出土遺物の検証が一番だと思います。

いろいろ集積されているという意味では、このページはいかがでしょう。

伊都国女王卑弥呼 〜邪馬台国の時代〜 
http://itoitokoku.hp.infoseek.co.jp/

あとは、考古学歴史学などの専門書を紐解くのも面白そうです。
一般書のようなものとしては、こうした書物も刊行されているようです。

http://www.ss.iij4u.or.jp/~hsumi/docs/saisin/saisin.htm#gaido
http://www.toway.com/cgi-bin/itosimagaku/whatsnew.cgi

16 :名無しのひみつ:04/11/05 16:49:30 ID:RzyJl/Ib
>>11
古代ヤマト府は、最初は伊都や奴国として九州にあった。
そこに、古代朝鮮半島とその周辺の動乱のため、
何らかの勢力が九州に進出し、古代ヤマト府は、
ゲルマン民族の大移動と同様に、その進出勢力に追われる形で
畿内地方に大移動した。

古代の事なので九州進出勢力に係る痕跡は未だ発見されてない。


と適当な事を言ってみるテスツ


17 :名無しのひみつ:04/11/05 16:54:59 ID:Ymnn5u+Z
>>16
別に外来(ヤマト外)勢力とは限らず、内乱により大移動したとも考えられる


と素人が適当に解釈してみるテスツ

18 :名無しのひみつ:04/11/05 16:56:20 ID:hjPUoOHT
>>15
世間一般では卑弥呼は邪馬台国にいたと考える人が一般的でしょう。 これは私もかつてそうでした。
しかし魏志倭人伝を読むと、邪馬台国は間違いだと気づきます。 なぜなら邪馬壱国と正確には書いて
あるからです。


19 :名無しのひみつ:04/11/05 22:43:31 ID:uwkxWrcc
>>15
ご丁寧にありがとうございます。
今更ながらですが、私はど素人です。
でも、ど素人なりに、いくらいろんなものを見ても
糸島=伊都 という根拠以外明確なものが示されていないと思うんです。
多くの人がすんでたとか、いろんな遺物が出土されるとか、一般的な話は
糸島半島に限らず、全国各地にあると思うんです。その中で、どうして、
語呂合わせだけでこうも明確に断定できるのかが、分からないんです。
「いと」だけでしたら、北九州の到津ってのもありますよね。糸島よりも伊都の津って意味では有力なのでは?
などと、素人なりに考えるんです。
でも、私のような素人の初歩的な疑問に丁寧に答えていただきましてありがとうございます。
教えていただいたHPはとても楽しく読ませていただきました。
今度あちらの方に旅行とか行ったときは思い出しながら歩こうと思います。
もし何か外に、ご教示頂けることがありましたらお手数ですがお願いします。
できれば、初心者に分かるようなものを・・・(^^)


20 :名無しのひみつ:04/11/06 09:22:04 ID:MzyEqILb
マルタイラーメンがどうかしたのか?

21 :名無しのひみつ:04/11/27 00:28:24 ID:foqvd88Q
それは、今宿と周船寺の間。

>16,>17
大和朝廷・九州から畿内引越し説は、こっちの方の在野の歴史学者・原田大六が唱えている。

・・・どうしても伊都国を糸島半島以外に移動させたがっているのがいるな。

22 :19:04/12/06 21:28:25 ID:9Up7IIWI
>>19です。
>>21
>どうしても伊都国を糸島半島以外に移動させたがっているのがいるな
私のこと?(^^)
別に糸島半島=伊都ガキにいらない訳じゃない。
何故、糸=伊都で糸島=伊都になるのか釈然としないんです。
「いと」という発音の所は外にもあるんじゃないかと。
それら全部を否定して糸島が伊都だという決定的な理由がが分からないんです。
もしご存じなら教えてくださいと、言ってるんです。
こんな私なんで当然ながら「んじゃ、どこだよ」といわれたらさっぱりわかりません。
糸島=伊都というすっきりした理由があるならそれはそれで全くOKなんです。


23 :名無しのひみつ:04/12/06 23:07:14 ID:phSSLmyp
お前に決まっとろぉが。こげなスレがあったことすら忘れとった。

糸島の近くには壱岐も松浦もあるけん、伊都国たい。

24 :名無しのひみつ:04/12/06 23:27:49 ID:vml7R2ix
地元の人間だけど昔、怡土郡と志摩郡が合併して糸島郡になったとよ

25 :名無しのひみつ:04/12/07 15:51:59 ID:sM3j32Mb
22>>糸島が伊都だという決定的な理由がが分からないんです。
もしご存じなら教えてくださいと、言ってるんです

まず遺跡が集中する点。また怡土城(イト)があった点。
今でも怡土小学校はあります。
唐津から東方面は山が海までせまっているので、
まとまった平地はありません。その海岸線を通ると
まとまった平野は糸島平野しかないんです。
だから前原は伊都国です

26 :名無しのひみつ:04/12/07 15:54:34 ID:yo5WwtAm
前原の読みが分からない人が大部分だと思うのでジモティどうぞ
ちなみに東海道線の駅のある米原町はヨネハラでもマイバラでもなく
マイハラチョウだそうです。あと船橋市の前原東駅はマイハラヒガシ
http://www.glin.jp/arc/arc.cgi?N=26

27 :26:04/12/07 16:01:04 ID:yo5WwtAm
訂正 前原東は駅ではなく、ただの町名でした。スンマ損

28 :19:04/12/07 18:45:31 ID:a6FGTTbW
なるほど,地名の連続性みたいなのがあるんですね。
伊都が怡土(順番は逆?)に変化した直接的な根拠はあるんですか?
それとも,単にちがう字を当てただけで漢字の違いはあんまり気にしないでいいのかな?

距離の点ですが,ざっと,韓国〜対馬が千余里,対馬から壱岐も千余里。
壱岐から末ら国までも千余里。だったらそれぞれそんなに違わない距離のはずなんですが
壱岐〜末ら国だけ極端に短いような気がします。
対馬から壱岐まで短くても70キロくらい。対馬の起点を北にしたらもっと遠くなります。壱岐から唐津まで50キロくらい。
壱岐から短く見積もっても千余里って博多市内から遠くなると宗像あたりまで行ってしまうようなきがするんですが・・・。
もしくは,東シナ海側にくだらないと距離稼げないと思うんですが。
また,松浦から前原って北東方面。南東じゃないようですが・・・。




29 :名無しのひみつ:04/12/07 22:58:30 ID:cuPH5nbh
>>28壱岐から短く見積もっても千余里って博多市内から遠くなると宗像あたりまで行ってしまうようなきがするんですが・・・。
もしくは,東シナ海側にくだらないと距離稼げないと思うんですが。
また,松浦から前原って北東方面。南東じゃないようですが・・・。

ちょっと意味がわかりません。また博多は博多市はないので福岡市です。
伊都国までは地図ではたしかに北東です。しかし既に対馬から壱岐
までも実際には南西に位置しますが、魏志倭人伝は南としています。
つまり方角は正確ではないということです。
先程も書きましたが唐津から魏志倭人伝の東南の方向というのは山しか
ありません。背振山系です。山の反対は佐賀平野です。
唐津は海と山に囲まれているので東南の方向には進めないと
考えるのが現実的です。海までせまった海岸線北東に進むと
伊都国しかないのです。現代でも唐津から前原までは海岸線
を走る国道、有料道路、JRすべて海岸線を走っています。

30 :19:04/12/08 20:59:54 ID:EzZKYtKG
>>29
すいません。説明がへたくそでしたね。
韓国〜対馬 千余里
対馬〜壱岐 千余里
壱岐〜末ら国 千余里
ならそれぞれだいたい同じ距離になるはずと思うんです。
地図でざっと見ると、対馬のどこを起点とするかで変わると思うんですが対馬の真ん中あたりを起点とすると
韓国〜対馬と対馬〜壱岐って同じくらいの距離なのに末ら国が東松浦郡あたりとすると
壱岐〜末ら国だけ極端に近くなってしまうと思うんです。
壱岐からの方向の指定はないので例えば東に千余里行くと近く見積もってもざっと福岡市あたりまで行けるんじゃないでしょうか?

方向にしてみたら確かに結構サバ読んでるというか、アバウトですね。
でもそれは、末ら国=東松浦という前提ですよね。もし、末ら国=東松浦
ならば、距離的に千余里じゃなくて500余里とか600余里とか書かれると思うんですが。
それよりも、福岡市内方面に千余里行って方向はそのまま南東に500里行ったところが伊都国・・じゃだめなんでしょうか?

それに、
>唐津は海と山に囲まれているので東南の方向には進めないと
>考えるのが現実的です。
なら、唐津周辺は末ら国じゃないと考えるのが自然じゃないでしょうか?

31 :名無しのひみつ:04/12/08 23:28:05 ID:COFMoZRf
たしかに壱岐からの距離は近いようです。
松浦半島の先端の呼子までの距離なのか、半島の
付け根に位置する唐津までをさすのかによっても
変わってきますね。ここは遺跡が集中する唐津地区
が末虜国であるのは間違いないと思いますので、
呼子までと考える距離よりも十数キロ伸びると思います。
十数キロというのは里数でいうと約200里弱となります。
一里は短里で計算しています。



32 :名無しのひみつ:04/12/08 23:44:26 ID:COFMoZRf
>>30
>唐津は海と山に囲まれているので東南の方向には進めないと
>考えるのが現実的です。
なら、唐津周辺は末ら国じゃないと考えるのが自然じゃないでしょうか?

唐津は伊都国には劣りますが、遺跡が集中する地域です。
なので末虜国は間違いないと思います。
唐津は一言でいうと陸の孤島です。北には海があってその
海まで山がせまってきています。
東方面に行く唯一の道といっていいのが海岸線を北東に
すすむ伊都国までの道です。倭人伝の東南という方向は
そのままだとすぐに目の前の山にぶつかり千メートル級の
山中を佐賀まで進むことになります。現代でも福岡側から
山を越え佐賀まで行くのは車でも大変な道のりなのです。
ですから唐津から東南というのは北東であり誤差の範囲
なのです。対馬から壱岐までの例を挙げましたが、ここも
同様に誤差があると考えるのは現実的ですよ。

33 :19:04/12/09 20:33:23 ID:dcm7FuOD
>>31
>>32
丁寧にありがとうございます。
距離の点で,韓国ー対馬間,対馬ー壱岐,壱岐ー唐津間が
同じような距離でしたらこんな固執しないんですが・・・。
方向の点は,そうかなと思います。
遺跡とか地名とか周辺状況としては揃いすぎるくらい揃ってるんで,
決定的なこれは!!という根拠がないのがもどかしいんです。
それだけに,ついつい,距離を優先して福岡市内方面に行った方が
すっきりするんじゃないかと思ってしまいます。
そうじゃないんだよって言う根拠とかはあるものでしょうか?
もしそれがあるんなら,多少の距離やずれは吹っ飛ばして末ら国=唐津周辺
伊都国=前原は納得できるんですが。



34 :名無しのひみつ:04/12/09 22:17:52 ID:w8lnUkEX
呼子ではなく唐津とした場合、壱岐から唐津までの距離は
とんでもなく短いとはならないと思います。呼子より約200里
長くなるからです。より千里に近づくのではないでしょうか。

>遺跡とか地名とか周辺状況としては揃いすぎるくらい揃ってるんで,
決定的なこれは!!という根拠がないのがもどかしいんです

決定的なこれは!!というのはどんな内容だったら満足されますか?
ある程度でしたらお答えできると思います。
私はあなたの距離や方角を心配されていることがすっきり
忘れられるような意見をもっています。一部の方は理解
されていますが現状では理解されない場合が多いのも事実です。

35 :19:04/12/11 01:07:24 ID:AAO8pMAY
距離の点ですが
壱岐のど真ん中あたりと唐津の間としても約50キロ
それに対して韓国〜対馬の真ん中あたりも対馬のどまんなかあたり〜壱岐も約100キロ
これでは同じ距離表示にはならないと思うんです。
唐津あたりを末ら国と想定するとしたら韓国〜対馬、対馬〜壱岐、壱岐〜唐津ってどこを起点としても
同じ千余里としてくくれないと言う矛盾を生じてしまうと思います。
これを明確に説明できない限り、唐津周辺=末ら国というのは無理があるのではないでしょうか?
逆に、なぜ、千余里を約70キロとして福岡市周辺が末ら国じゃいけないんでしょうか?
その理由を教えて頂けないでしょうか?

それと、決定的なこれは!!というのが何かといわれれば素人の身、ひるんでしまいますが
例えば唐津周辺の遺跡に末ら国に関する記述のある文書が見つかるとか、前原周辺に伊都国に関する文書が見つかるとか
すれば、もしくはどっかに前原周辺は伊都国だよ!!という、同時代の記述が見つかるとかすれば文句なく納得できるのですが・。
そう言うのはないものでしょうか?


36 :名無しのひみつ:04/12/11 10:10:25 ID:+0JhCsXQ
距離ですが一般的には千里+千里+千里といわれますが、厳密に考えると
総距離が三千里なのか積算距離が三千里なのかで違ってくると思います。
総距離というのはこの場合朝鮮半島の地点から唐津までが三千里です。これには
対馬や壱岐の陸地の部分も含まれています。
一方、積算距離の場合半島から対馬までの距離が千里、また対馬から壱岐まで
が千里、壱岐から唐津までが千里、となりますが総距離と違う点は千里の
距離の中に島の距離自体が入っていない点です。
つまり千里+対馬+千里+壱岐+千里が積算距離となります。
対馬は約50キロぐらいはあると思いますが、この50キロが
距離に入っているかいないかでは全く違ってきます。

37 :名無しのひみつ:04/12/11 10:28:41 ID:+0JhCsXQ
>>それと、決定的なこれは!!

残念ながら証明する文字は発見されていません。
記憶では伊都国から出土した何かに鏡と読める文字がでてきたと
思います。間違ってたらごめんなさい。

38 :名無しのひみつ:04/12/11 10:48:43 ID:+0JhCsXQ
>>36
積算距離についてですが誤解されるといけないのでまた書きます。
この積算距離はもちろん3000里にはなりません。
3000里+対馬+壱岐が海峡の距離となります。
また海峡が3000里になるのは総距離だけです。
積算距離の話をしたのは女王国まで一万二千余里と記述があること
と関係あります。
一万二千里の距離の中に国の距離自体が入っていないのではないかと
自身考えています。魏志倭人伝に国から国まで何里と連続して
書いてありますがこの距離が総距離ではなく積算距離と考え、
その合計が一万二千里だとしている点です。
ということは女王国まで一万二千里の場所は積算距離であって
当然その女王国は距離が書かれた国の中の一つが一万二千里の
国である女王国にあてはまることになります。

39 :19:04/12/11 22:35:31 ID:peWVWOTF
>>36-38
ありがとうございます。
大変,興味あるご意見です。
そう考えれば,ずいぶんとわかりやすくなると思います。
これをどう評価すべきかの方法も,基礎知識もないので,正しいとかとちょっととか言う
事は私には出来ません。
が,すくなくとも他によく見られるような文章を薄い根拠のまま改訂したり,
都合良く解釈したりするような我田引水的な説に比べればかなりの合理性と説得力はあると思います。
少なくとも私のような素人にもわかるくらい無理のない考え方だと思います。
ただ,それが例えば当時の一般的な考え方や表記法と矛盾がないかとかそう言うことの
考察はやっていく必要があるんでしょうね。
その考え方でそれ以降の場所の検討していったらおもしろい結果でそうですね。
最終的にどこが邪馬台国とお考えですか?
ぜひ伺いたいですね。

40 :名無しのひみつ:04/12/12 12:55:17 ID:wcYRLiyQ
>>最終的にどこが邪馬台国とお考えですか?
ぜひ伺いたいですね

すごくうれしいです。実は女王卑弥呼についてのサイトを持っています。
自分で解釈した方法で結論も既にだしているんです。

>>矛盾がないかとかそう言うことの
考察はやっていく必要があるんでしょうね。

と書かれていますが、もちろんやっています。その為に理解されない点も
多くありますし、つくづく感じます。しかしあなたの様に真剣に質問され
追求される方に聞いていただけるのも幸せです。
いきなり結論だけを書いても何で?と思われると思うので、
すこしづつ話を進めたいと思いますがいかがでしょう



41 :19:04/12/13 23:07:48 ID:I3RJptpl
>>40
とりあえずサイト教えて頂けないでしょうか?
自分でもじっくり読んでみたいんです。
それとも、あまりいろいろなところに出したくないんでしょうか?
それなら、概要というか流れだけでも教えてください。
総距離と積算距離の違いという点は漠然と(と言うほども問題意識すらなかった程度ですが)
かんじてはいましたが、自分の中でこれほど明確には整理されていませんでした。
そのぶん、とても新鮮に、すっきりとした気分で受け取っています。
ただ、とりあえずに疑問として、たとえば現代の距離表示は都道府県市町村の中心地(県庁や市役所、役場のあるところ)
を基準に表示されると思うのですが昔はどのような考えだったか明確にしている文献などあるのでしょうか?


42 :名無しのひみつ:04/12/13 23:58:06 ID:6Rt/GCsL
サイトですがイキナリ見てもらってもなかなか理解されないのでは
ないかと思っています。でも
サイトですが既に紹介されています。
>>15に伊都国女王卑弥呼とありますがコレです。
15やこのスレ自体は私が書き込んだものではありません。
私は後になって書き込まれていることを発見しました。
HPをご覧になった方がかきこまれた様です。
はっきりいってうれしいです。ありがとうございます。

>>はどのような考えだったか明確にしている文献などあるのでしょうか?

私は総距離と積算距離について書き込みしていますが、自身これには
あまり関心がありません。関心があるのは女王国まで一万二千余里の
方です。


43 :名無しのひみつ:04/12/14 00:07:52 ID:CdSApQEz
というのも卑弥呼は女王国に居たと考えているからです。
私の結論は「女王国は伊都国である」。ですが勘違いしてほしくないのは
邪馬壱国が伊都国だとはしていません。あくまでも「女王国が伊都国である」
です。私は邪馬壱国と女王国は明確に区別されていると考えています。
邪馬壱国は一回しか書かれていないのに対し、女王国は四回書かれています。
卑弥呼の居る特定の場所は邪馬壱国ではなく女王国の方がふさわしいですよ。

44 :19:04/12/14 22:23:03 ID:TleSP4PC
>>43
少し読ませて頂きました。
正直、今までの通説が当たり前と思っていた自分には、
中身を理解するのに何回か読まなくては頭に入っていかないですね。(^^)
それでなくても、基礎知識に欠けてるのに・・・。
ただ、前にも書きましたが安易な改ざんなしで考察する姿勢はいいですね。
理解し、疑問点等整理するのにちょっと時間がかかるかも。
ただ、ちょっと見で引っかかるのは、東に海があるはずですが・・・。
博多湾のこと?一海というイメージからは遠いのですが。
周防灘?ちょっと遠すぎるのでは?
玄界灘?いくら何でも東とは言えないのでは?


45 :名無しのひみつ:04/12/14 23:02:34 ID:/x0nkq15
>>理解し、疑問点等整理するのにちょっと時間がかかるかも

今までの常識からすれば理解できないでしょうね。

>>ただ、ちょっと見で引っかかるのは、東に海があるはずですが・・・。
博多湾のこと?一海というイメージからは遠いのですが。
周防灘?ちょっと遠すぎるのでは?
玄界灘?いくら何でも東とは言えないのでは?

東については女王国の東という項目で書いています。
東の海は関門海峡だと思います。最も北に位置する
福岡県から見ても北東ですが、九州の中では最も
東に近い北東です。女王国の東の国は女王国から東に
千里に海を渡った所ですから、現在の山口県であって
山口県を北東に見て、また千里の距離からも
女王国は伊都国であるのは気づいてくれましたか


46 :19:04/12/16 20:54:37 ID:CSrMK1b0
少し読ませて頂きました。
まだ良く理解してないのですが・・・。
邪馬台国(邪馬壱国)の中に、一大や伊都、まつら国等々があって
その中の女王のクニが伊都国であると言うことでいいのでしょうか?

それとは別に疑問点として
 「女王國の東、海を渡る千余里、また國あり」
が関門海峡というのはちょっと・・・。
素直に読めば女王国の東に海があり、その幅は千余里で、その先に海がある。
と言う意味になると思うんですが。
女王国の千余里先に海があるというのはちょっと考えにくいのでは?
距離の指示も千余里と、魏志倭人伝の初めに出てくる、海を渡るときの
距離表示の方法と整合性がありますし。
魏志倭人伝というのは正史ですよね。中国では各王朝の大きな事業の一つに
正史を作ることがあると聞いたことがあります。
従って、魏志倭人伝というのは、国が人材を集めて作ったものですよね。
少なくとも、ある個人が勝手に作れるものではなく、内容や書式、などなど
考え抜かれて書かれたものであると言うことは容易に想像できます。
その中で、○里とか○余里とか分けて書かれているのもちゃんと考えられて
書かれているのでは?それなら原文を最大限に尊重しなくては行けないのではないでしょうか?
もしそうなら、「女王國の東、海を渡る千余里、また國あり」
の一文は女王国の東に海があり、その幅は千余里だったと言う風に解釈した方が自然ではないでしょうか?
私が>>45さんの姿勢に共感を覚えるのは改ざんと言うことを安易にしてないことです。
逆に他の説のようにああも安易に改ざんするなら、邪馬台国を探すのに魏志倭人伝なんていらないじゃん
と常々思ってました。
あまり理解してないですが、所々で「おっ」と思うところあります。
もう少しじっくり読んでみたいと思いますが、とりあえず疑問に思った点です。
でも、すいません。創造は大変で批判は簡単なものです。
批判してるみたいでとっても心苦しいですが、決してそうではなくもう少しお話を
お聞きしたいと考えてる次第です。

47 :名無しのひみつ:04/12/16 23:44:44 ID:Sd3zo0tY
>>邪馬台国(邪馬壱国)の中に、一大や伊都、まつら国等々があって
その中の女王のクニが伊都国であると言うことでいいのでしょうか?

はいそのとおりです。七万余戸の巨大な戸数はとても一点に
集中していたとは思えないので、女王国が首都だと思います。
伊都国には「世有王」と書かれ王がいたことがはっきり書いてありますし
また「其国七八十年男王」と書かれ、其国は卑弥呼の国ですが
「七八十年男王」とは世有王(伊都国の歴代の王)のことだと思います。
今現在、伊都国に王が居たことは認める方は多いですが
あくまでも伊都国の王とされる方ばかりです。もったいないです
伊都国には唯一一大率が置かれました。これも邪馬台国の出先機関
とされる方が多いですが、一大率の役目を考えると女王の使いを
送ったり、女王への贈り物が届けられた際ここで、船が停泊し、
間違いないように女王に届けたり、郡使が常にとどまる地
でもあります。また諸国が恐れているのも一大率の特徴です。
これらは出先機関では話になりません。首都機能そのもの
だと思います。


48 :名無しのひみつ:04/12/17 00:03:32 ID:Mf4QVj5j
「女王国東渡海千余里復有国」ですが現代の日本語のように
句読点がないのでわかりにくいですね。おっしゃるように
海の幅が千里と考えることはできますし、女王国から
女王国の東の国までが千里と考えることもできます。
でもこの二つはまったく意味が違うものですね。
たしかに対馬から壱岐までは海だけの距離が千里だと思いますし
書かれているのも事実です。しかし同時に郡(帯方郡)から
女王国まで一万二千余里とも書かれています。この場合
海も陸地も含めた総距離であるわけです。
「女王国東渡海千余里復有国」にもどります。
ここで一番いいたかったのは千余里ではないでしょうか。
一番強調されているのは復有国の国のようにも思えますが
この国は国名すら書かれていないんです。ですから一番
いいたかったのは千余里だと思います。
そう考えると千余里は女王国と女王国の東の国の距離と考えて
いいと思いますよ。もちろん女王国は伊都国と考えて
いますけど

>>もう少しじっくり読んでみたいと思いますが、とりあえず疑問に思った点です

従来とは根本的に違う、卑弥呼がいた場所が女王国としている点からしても
理解するのに時間はかかると思います。(邪馬台国にこだわっていたら
私の説は説明ができません。)邪馬台国にこだわるのであれば、九州説から
畿内説まで大勢いらっしゃいます。そちらの方の説もよくご覧になった上で、
卑弥呼=女王国に戻ってこられても構いません。しかし戻ってこられたら
女王国=伊都国の理解が得られることになると思います。

49 :名無しのひみつ:04/12/17 09:11:23 ID:I+RLi5wB
なかなか興味深い論争しているね。
既出か知らないが、魏の時代に里は長里と短里の区別がある。
長里は431メートルぐらいで、短里は75メートルほど。
恐らく倭人伝に使われているのは短里だろう。

50 :19:04/12/18 00:08:42 ID:GQPcyWdV
>>49
そうでしたか。
正直、短里長里などと言う言葉も知らないまま話を進めています。
それにこれは、論争というより私が教えて頂いているお話。
もし、何かご存じでしたらぜひ教えてください。
>>48さんにはこんなど素人に懇切丁寧に教えて頂き本当に感謝しています。
外の方も、もし何かごそんじでしたらぜひご教示お願いいたします。

51 :19:04/12/21 21:44:06 ID:EQJUiRy/
>>48
>ですから一番
>いいたかったのは千余里だと思います。

私もそう思います。ただし、距離のことではなくて、「余里」です。
海路と陸路では使い分けていたのではないでしょうか?ということなんですが。
韓国〜対馬も「余里」、対馬〜壱岐も、壱岐〜末ら国も同様。で、陸路になったら「里」・・・。
ならば当然、「余里」と書いてある 女王国東渡海千余里復有国 も、海路だったのでは?ということなんですが・・・。
どんなもんでしょうか?
と、すると「余里」と書いてある全行程は海路が重要な意味を持つのかな?


52 :名無しのひみつ:04/12/22 21:42:48 ID:Lua6W35S
おもしろい指摘ですね。
余里という言葉はたくさん使われていますが、
別の見方もできるようです。
距離による使い分けです。一万二千余里や千余里は
余里が使われています。
一方五百里や百里は余里は使われていません。
これらは長さから使い分けているように
思えます。五百里や百里の短い距離は断定している
ということです。

53 :名無しのひみつ:04/12/23 23:16:55 ID:PpKqZNb9
また、郡使往来常所駐と書かれています。
これは伊都国のところで書かれています。
一大率が置かれた伊都国までしか、郡使は
こなかったし、先にも進んでいません。
ですから、首都は女王国である伊都国ですよ

54 :19:04/12/24 22:06:26 ID:Lr9bQTtY
>>52
おー、全然気がつかなかった。
確かにそうですね。
この辺の法則性はどれを重視すればいいものでしょう。
それによって違ってきますね。それとも、あまり関係ないのかな?


55 :19:04/12/24 22:24:01 ID:Lr9bQTtY
>>53
うーん、これはそうともとれるというレベルを脱してないのではないでしょうか?
たとえば、女王国にいったりきたりする途中で滞在するとか、拠点にするとかいう風にはとれないでしょうか?
そう言った解釈に対する優位性みたいなのは何かあるものでしょうか?
もちろん上に書いた解釈が正しいとか、有利だとか言う話ではなく、例えばそういう解釈に対して、
常所駐をもって、女王国=伊都国と言えるものでしょうか?
そう言う意味では、距離の解釈も今ひとつ決定的ではないと思ってしまうんです。
ただ、個々の話をピックアップするとそう言う話はいくらでもすることが出来るわけで
全体像として語るべきではないかと言う気もしています・・・。


56 :名無しのひみつ:04/12/25 00:05:53 ID:p8a90N10
女王国という言葉なんですけど、女王国というのは文字どうり
女王が王である国なわけです。これはもちろん男王であれば
この場合○○国と書いたと思います。流れからいくと地名が
入るようですが、地名よりも女王の方が特徴的だったから
女王国としたと思います。ということは女王国には正式名称が
あったとは思いませんか?
もちろん私は女王国は伊都国と考えていますけど。
現代の常識である邪馬壱国=女王国では私のいう
女王国=○○国は考えられないと思いますけど。
私は女王国が首都であるという大前提にたっていますので
女王国が首都であった場合、邪馬壱国以外に王が居たと
書かれているのは伊都国だけなんですよ。
女王に属さない国は含めません。

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